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たかが小学生ふぜいが、 何万もの金銭を働かずに手に入れる。 果たしてこんな風習が当然の顔をして社会を闊歩していいのだろうか? 私は大金を手にした子供あのしたり顔を見ていると、 酷く不安を感じてしまう。 マスコミもたちが悪い。 世間の子供たちは皆お年玉をもらえると勝手に思っている。 そして、もらった子供の笑顔の情報ばかりを垂れ流す。 こういったマスコミが流す先入観は大人を脅迫でもしているようで恐ろしい。 少数とはいえ、お年玉に縁のない子供だっている筈である。 そんな少数を彼らマスコミはゴミとでも思っているのだろうか・・。 私は出来ればこんな名目で子供に金銭を与えたくはない。 しかし残念なことに、現実はそれが出来ない環境である。 だから、手渡す時はいつも、 お金欲しくば働けと心の中で叫んでいる。 解雇された契約社員が、 食えないから社会が面倒見るのが当然という主張の背景に、 私はこのお年玉社会を垣間見る。 尊厳ある人間なら、 自ら選んだ環境が過酷だからといって、 誰かに経験してみろなどとはいえない筈である。 それをカメラに向かって主張する。 そんな彼らをみると、 何の働きもない子供にお年玉を配るような環境が、 日本人の甘えの構造の基調となり、 さもしい人間模様を演出しているような気がしてならないのである。 だからといって、 契約社員が物品のように、 会社組織から遺棄するような社会環境を容認しているのではない。 国の基幹産業が率先して契約社員を切り捨てるような行為は、 人心を荒廃させ社会を不安定化させるいわば犯罪行為なのである。 それでもしかし、 人は自らを奮い起こし、 自らの力で活路を見い出してこそ、 尊厳ある一人の人間として胸を張れるのではあるまいか。 人間の尊厳ある生き方を学び、 その基盤を作るべき最も重要な子供時代に、 お年玉という働かずに大金をせしめるという悪しき風習によって、 本来学ぶべき人としての尊厳が損なわれているような気がしてならない。 |
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